異なる道を歩んだ二つの知が、本質へと収束する瞬間 前回の記事で、私は「量子力学の発見が唯識論と驚くほど似ている」という不思議さと感動を書きました。 観測しないと状態が決まらない世界。主体と客体を分けられないという量子の本質。そして唯識論の「識が世界を成立させる」という構造。 まるで科学と哲学が、別々の山道を歩きながら、なぜ同じ本質にたどり着いたのだろうという謎に強く興味をひかれました。 しかしその後、さらに深く調べていくともうひとつ大きな気づきが生まれました。 両者は“似ている”だけではなく「世界の本質を ...