エッセイ・思考

通りすがりの人がゴミを拾う光景に、言葉にできない安心を感じる理由

夕方の歩道で、通りすがりの人が足元のゴミをそっと拾う手書き風イラスト

駅から自宅までの道で、ときどき見かける光景があります。

誰かが立ち止まって、何気なく足元のゴミを拾っています。コンビニの袋かもしれませんし、飴の包み紙かもしれません。拾った人はそれをポケットに入れるか、近くのゴミ箱に捨てて、また歩き出します。

その一連の動きを、たまたま見てしまったとき、なぜか少しだけ安心するのを感じます。

別に知り合いでもありません。年齢も服装もばらばらです。特別に意識の高そうな人に見えるわけでもありません。ただ、とても自然にふと手を伸ばして拾っているだけです。それなのに、なぜか胸のあたりがほんの少しゆるむ感覚があります。

何の安心なのか、うまく言葉にはできません。

世の中が急に良くなるわけではありませんし、その人がゴミを拾ったからといって明日が変わるわけでもありません。けれど、「ああ、こういう人もいるんだ」と思うと、それだけで何かが少しだけ軽くなった気がします。

もしかすると、誰かに見られていなくても黙って手を動かす人がいるという事実が、安心の正体なのかもしれません。見返りを求めない動きが、まだこの世界のどこかで続いているという確認のようなものなのかもしれません。

それとも、自分が子どもの頃に見た風景の記憶なのかもしれません。誰かがゴミを拾っていた姿を無意識のうちに覚えていて、それが「安心」という感覚に結びついているのかもしれません。世代や育った環境によって感じ方は違うのかもしれませんし、違わないのかもしれません。

分かりません。

ただ、あの瞬間に感じる静かな安心だけは、確かにあります。それが何に由来するのか、誰にでも共通するものなのか、答えはありません。

ゴミを拾う人を見かけたとき、ほんの一瞬だけ立ち止まって、その後ろ姿を見送ります。それだけで十分な気がします。


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