若いころから、私は長く金属に関わる仕事をしてきました。
鉄は硬く、重く、削れば鋭い音を立て、放っておけば錆びてしまう。金属とは、扱い方を間違えると厄介なもの。機械や道具の材料としては頼もしいけれど、どこか体とは別の世界の存在――そう思い込んでいました。
ところが年を重ねるにつれて、コンビニや薬局でサプリメントを目にする機会がぐんと増えました。
袋や箱を手に取ると、「Fe」「Mg」「Ca」といった文字が並んでいます。鉄。マグネシウム。カルシウム。名前はもちろん知っています。でも正直なところ、「知っている金属だからこそ、こんなものを体に入れて大丈夫なのかな」――そんなぼんやりした、どこか不安にも似た印象を持っていたのです。
考えてみれば、鉄やマグネシウムが体に必要だという話は、ずっと前から聞いていました。鉄は血に関わり、マグネシウムは体の働きを支える。知識としては、ちゃんと知っていたのです。
けれど不思議なことに、それがいつもみている「あの硬い鉄」と同じものだという感覚は、まったくありませんでした。
同じ名前だけれど、きっと別のものなのだろう――。そんなふうに、特に疑問も持たずに、何十年も過ごしてきたのです。

鉄瓶への、漠然とした抵抗感
そんなことを考えていた時、少し前に購入した「鉄瓶」のことを思い出しました。
鉄瓶でお湯を沸かすと、鉄分が摂れる。体にいい、と昔から聞いたことがある。家内は使っていましたが、でも私は、なぜかそれを避けていました。
鉄は体に必要かもしれない。でも、錆びた鉄――あの赤茶色の、ざらついたものが、本当に体にいいとは、どうしても思えなかった。
どこか気持ち悪さを感じていたのです。
それが今回、あらためて調べてみて、少し驚き、そして安心しました。
調理器具にできるごく薄い錆は、体に害を与えるようなものではないこと。そして、鉄瓶や鉄鍋から摂れる鉄は、錆そのものを飲んでいるわけではなく、調理中にわずかに溶け出した「体が使える形の鉄」だということ。
さらに驚いたのは、体の賢さです。体は意外なほど賢く、必要なものだけをちゃんと選んで取り込み、そうでないものは、そのまま静かに外へ出してくれる。
そう知ったとき、長年心の奥に引っかかっていた違和感が、ふっと軽くなっていくのを感じました。

昔の暮らしには、自然な知恵があった
思えば昔は、鉄鍋や鉄瓶がもっと身近にありました。特別な健康法としてではなく、ただの暮らしの道具として、台所に当たり前にあったものです。
そこには、「体にいいから摂ろう」という意識すらなかったのかもしれません。それでも自然に、体と金属は、うまく付き合っていた。知らず知らずのうちに、必要なものを摂っていたのでしょう。
今あらためて考えると、体の外にある鉱物と、体の中にある鉱物は、決して別の話ではなかったのだと思います。
生活に必要なものと、体に必要なものは、同じ地面の上に並んでいた。ただ、そのことを意識する機会が、私たちの世代には、あまりなかっただけなのかもしれません。

金属の見方が少しだけ変化しました
鉄は、包丁や鍋や柵といった、暮らしを支える材料でもあり、同時に、体の中で静かに働いてくれるものでもありました。
サプリの袋に書かれた「Fe」や「Mg」の文字も、もう無機質な記号には見えません。体の中で静かに働く、小さな、けれど大切な存在として感じられるようになりました。
これは、何か新しいことを信じるようになったわけではありません。金属の見方が少しだけ、本来の自然な位置に戻った。
でも、その「少し」が、案外大きいのかもしれません。
朝、サプリメントを手に取るとき。台所で鍋を出すとき。何気ない日常の中で、ふと思い出すことがあります。
鉄は、やはり鉄なのだと。ただそれだけのことが、妙に腑に落ちています。