エッセイ・思考 シニアライフと健康

自分の内側を見るという心地よさ

朝、コーヒーを淹れながら、ふと手が止まった。

いつもの動作なのに、その日はなぜか、お湯が注がれる音がやけに大きく聞こえた。カップから立ち上る湯気。その白さ。そして、手のひらに伝わってくる、ほんのりとした温かさ。

「ああ、今ここにいるんだな」

そう思った瞬間、心がすっと軽くなった。この感覚を、どう説明すればいいだろう——。

私たちは、ほとんどの時間「外側」に反応して生きている

誰かの一言に、カチンとする。

ニュースを見て、不安になる。

思うように体が動かず、気持ちが沈む。

こうした反応は、とても自然なものです。外で起きた出来事に対して、心や体が瞬時に反応する。それは長い人生の中で身につけてきた、大切な働きでもあります。

窓辺で外の世界を見つめる人物の後ろ姿を描いた手描き水彩イラスト。外側の出来事に反応する日常を静かに表現

ただ、正直に言えば——少し疲れてくることもあります。

外側の出来事は、自分ではどうにもならないことが多いからです。天気、誰かの機嫌、世の中の流れ。どれだけ気にしても、変えられないものは変えられない。

それなのに、私たちの心は、そこに引っ張られ続けています。

「内側を見る」というのは、反応を消すことではない

「内側を見る」と聞くと、感情を抑えること、考えないようにすること——そんなイメージを持たれるかもしれません。

でも、そうではありません。

反応は、起きてしまっていい。

大切なのは、そのすぐあとです。

イライラした。

不安を感じた。

体がこわばった。

その瞬間に、「ダメだ」「こんな自分じゃいけない」と評価する前に、ただ気づく。

ああ、今、胸のあたりが少し重いな

肩に、力が入っているな

椅子に座り足裏で床を感じる人物の手描き水彩イラスト。体の感覚に意識を向ける穏やかな瞬間を表現

ここで、ほんの30秒だけ

もしよければ、読んでいる今、ほんの少しだけ立ち止まってみてください。

深呼吸をする必要もありません。

ただ、足の裏が、床にどう触れているか。椅子に座っているなら、体の重さがどこにかかっているか。それを感じてみる。

うまく感じられなくても大丈夫です。「感じようとしている自分」に気づけば、それで合格です。

もしかしたら、何も起きなかったかもしれません。でも、ほんの一瞬だけ、心がざわざわするのが止まった——そんな感覚があったなら、それが内側を見た瞬間です。

内側を見るために必要なのは、努力ではなく「向き」

内側を観察するために、特別な訓練や難しい考え方は要りません。

必要なのは、ほんの少し向きを変えることです。

外側に向いていた注意を、10%だけ内側に戻す。そのためのコツは、とてもシンプルです。すぐに理由を探さない。良い・悪いで判断しない。「どうして?」より「今、どんな感じ?」と問いかける。

答えは、言葉にならなくてかまいません。体の感覚は、言葉よりもずっと正直です。

コーヒーを淹れるあの瞬間も、実は「内側を見ていた」のです。お湯の音、湯気、温かさ——それらを感じていたとき、私の注意は外側ではなく、今ここにある感覚に向いていました。

心地よさの正体

ここで言う「心地よさ」とは、何かが良くなった感覚ではありません。

何かを無理にしなくていいと気づいた瞬間。

それが、この心地よさの正体です。

頑張らなくても、整えなくても、今の状態を、そのまま感じていい。

そう許したとき、心と体は、ほんの少し緩みます。

内側を見るとは、何かを足すことではなく、余計なものを手放すことだったのです。

なぜ、シニア世代にこそ大切なのか

私たちは長い間、外側に応えながら生きてきました。

期待に応え、役割を果たし、頑張ることで評価されてきた世代です。だからこそ、反応する力はとても鍛えられています。

一方で、体の変化が現れてくる今は、自然と内側に目が向きやすい時期でもあります。

階段を上るとき、息が切れる。

名前が、すぐに出てこない。

以前より疲れやすくなった。

階段を一歩ずつ上る足元を描いた手描き水彩イラスト。体の変化を受け入れ、今この瞬間に気づく穏やかさを表現

こうした変化を、できなくなったことの証明だと思う必要はありません。階段で息が切れたとき、ほんの少し立ち止まる。その瞬間こそ、自分の内側に気づくチャンスかもしれないのです。

それは衰えではなく、向きを変えるチャンスなのかもしれません。

内側を観察できると、社会が少し明るく見える理由

内側を見る習慣が身についてくると、反応そのものは以前と同じように起きます。

でも、巻き込まれ方が変わります

感情に飲み込まれにくくなる。自分を責める時間が短くなる。「まあ、そういう時もある」と思える余白が生まれる。

この余白は、やがて外にも広がっていきます。

他人の強い反応を見たとき、すぐに対抗しなくてよくなる。怒りや不安の奥に、その人なりの事情があるのかもしれないと、少し距離を取って見られるようになる。

社会が明るく見えるのは、世界が変わったからではありません。こちら側に、余白が生まれたからです。

そう、あのコーヒーの瞬間のように。外の喧騒はそのままでも、自分の中に静かな場所があれば、世界の見え方は変わるのです。

自分の内側を見るという心地よさ

自分の内側を見ることは、自分を変えることではありません。

むしろ、長い間、置き去りにしてきた自分と静かに話をする時間です。

呼吸。

体の重さ。

今ここにある、かすかな安心感。

それらに気づけたとき、「まだ大丈夫だな」と思える瞬間が訪れます。

自分の内側を見るという心地よさは、自分と仲直りしていく、とても穏やかな時間なのかもしれません。

そして明日の朝も、またコーヒーを淹れるでしょう。少しだけ丁寧に。少しだけ自分に優しく。お湯の音が聞こえたら、それがサインです——「ああ、今ここにいる」という、静かな気づきのための合図。


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