エッセイ・人生観

「自分の見方がすべてではない」と気づくだけで、悩みは少し軽くなる

歳を重ねると、いろいろな経験が増えていきます。

仕事でうまくいったこと、失敗したこと。
人に助けてもらったこと、裏切られたこと。
家族との出来事や、お金のこと、健康のこと。

そうした経験を積み重ねながら、私たちは知らないうちに、

「世の中とはこういうものだ」
「人間とはこういうものだ」
「こういう時には、こうした方がいい」

という自分なりの考え方を作ってきました。

それは、長い人生を生きるために身につけてきた大切な知恵でもあります。

ところが最近、私は少し違うことを考えるようになりました。

その経験が、逆に自分の見方を狭くしていることもあるのではないか。

人は誰でも「自分のフィルター」を通して世界を見ている

同じ出来事が起きても、人によって受け取り方は違います。

誰かから返事が来ないとします。

ある人は、
「忙しいんだろう」と思います。

別の人は、
「何か怒っているのかな」と思います。

さらに、

「自分は嫌われているのではないか」と思う人もいるでしょう。

起きている事実は同じです。

返事が来ていない。

ところが、その先は自分の解釈です。

私たちは、これまで生きてきた経験を通して出来上がった「フィルター」を通して、出来事を見ているのだと思います。

長く生きたからこそ、フィルターは強くなる

これは悪いことではありません。

経験があるから危険を避けられる。
過去の失敗があるから、同じ失敗をしなくなる。

人を見る目も養われます。

しかし、その経験が、「こうに違いない」
という確信に変わることがあります。

そのとき少し厄介なことが起こります。

自分の考えを「一つの見方」ではなく、「事実そのもの」だと思ってしまうのです。

私自身を振り返ってみても、これまで生きてきた世界は、世の中全体から見ればほんの一部分です。

自分が知らない生き方も、知らない価値観も、知らない世界も無数にあります。

そう考えると、誰でもある意味では「井の中の蛙」なのかもしれません。

でも、問題は、井戸の中にいることではありません。

自分が見上げている空だけが、空のすべてだと思ってしまうことです。

悩んだとき、「事実」と「自分の解釈」を分けてみる

これに気づいてから、悩みが生まれたときに一つ試してみたいことが見えてきました。

例えば、

「あの人は私を信用していない」
と思ったとします。

そこで一度立ち止まります。

実際に起きたことは何だろう。

「私の提案にすぐ賛成しなかった」
これは事実です。

「あの人は私を信用していない」
これは自分の解釈かもしれません。

さらに、

「このまま関係が悪くなるのではないか」
となれば、これは未来の予測です。

つまり、

事実・解釈・予測を分けてみる。

一つの出来事を事実・解釈・予測に分けて考えるイメージ図

これだけでも、頭の中で一つになっていたものが少しほぐれます。

疑いを無理になくそうとしなくてもいい

人間には恐怖心があります。

危険から自分を守るために必要なものです。

だから、
「大丈夫だろうか」
「何かあるのではないか」
と疑うこと自体は自然なことです。

問題なのは、疑いがいつの間にか事実に変わってしまうことです。

「何かあるかもしれない」が、
「何かあるに違いない」

になり、

最後には、

「あの人は信用できない」となってしまう。

いわゆる「疑心暗鬼」です。

疑いを完全になくす必要はありません。

その代わり、

「私は今、何を根拠にそう思っているのだろう」

と考えてみる。

分からなければ、「今は分からない」としておく。

歳を重ねてからは、この「分からないまま置いておく力」が意外に大切なのではないかと思います

人生には、考え方だけでは解決できないこともある

もちろん、すべてを「考え方の問題」にすることはできません。

病気になることもあります。
お金の問題もあります。
家族の問題もあります。
災害や事故など、自分ではどうすることもできない出来事もあります。

そんなときに、

「考え方を変えれば大丈夫」
と言われても、何の解決にもならないことがあります。

現実の問題には、現実の対処が必要です。

医師に相談する。
専門家に聞く。
家族と話す。
お金を計算する。
制度を調べる。

必要なら誰かに助けを求める。

大切なのは、その現実的な行動をするときに、恐怖や思い込みだけで判断しないことなのだと思います。

自分の考えを否定する必要はない

「自分の見方にはフィルターがある」というと
「では、自分の考えを信用してはいけないのか」

と思うかもしれません。

私はそうではないと思います。
長い人生で培ってきた経験は大切です。

ただ、

「私はこう思う。でも、違う見方もあるかもしれない」

という小さな余白を残しておくだけです。

この余白があれば、人の話を聞くことができます。

新しいことを知ることもできます。

そして、自分が間違っていたと分かったときにも、無理に自分を守らなくて済みます。

井戸から出なくても、別の空を知ることはできる

二つの井戸の上に一つの広い空がつながっている手書き風イラスト

私たちは、自分の経験から完全に自由になることはできません。

どれだけ本を読んでも、どれだけ人と話しても、世界のすべてを知ることはできないでしょう。

だから「井の中の蛙」であることそのものは、仕方がないのかもしれません。

でも、別の井戸にいる人の話を聞くことはできます。

本を読む。
人と話す。
知らないことを調べる。
自分とは違う考えに触れてみる。

そうすると、

「自分が見ている空より、世界はずっと広いらしい」

ということだけは分かってきます。

歳を重ねるということは、答えをたくさん持つことだと思っていました。

でも最近は、少し違うのかもしれないと思います。

自分の経験を大切にしながら、

「まだ自分の知らない世界がある」

と思えること。

そして何かに悩んだとき、

これは事実なのか。
それとも、自分にはそう見えているだけなのか。

と一度だけ自分に問いかけてみる。

人生の問題そのものは、なくならないでしょう。

それでも、この小さな余白があるだけで、問題に振り回されることが少し減るのではないかと思っています。


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